アメリカ大統領とキリスト教

 『アメリカ大統領の信仰と政治』を斜め読み。


 

アメリカ大統領の信仰と政治―ワシントンからオバマまで

アメリカ大統領の信仰と政治―ワシントンからオバマまで


 この本のなかで、ワシントンからオバマまで10人のアメリカ大統領が取り上げられており、唯一カトリックの大統領であるジョン・F・ケネディは、当然扱われています。

 ケネディ大統領を扱った第5章「カトリックの希望の星、ジョン・F・ケネディ」での焦点は、今日まで続く、カトリック信仰と世俗主義の均衡の取り方をめぐる問題にあり、JFK個人の信仰については、あまり紙幅が使われていません。

 名ばかり信者に近かったJFKの信仰について触れた個所で、ちょっぴりRFKが登場します。

 ※引用文は、こちらの判断で適当に改行してあります。

 (前略)信仰は信仰、政治は政治で、両者に結びつきはないと否定したわけだが、これがケネディの本音だったことは、親しい人々が異口同音に証言するところである。


 ケネディの演説原稿のほとんどを執筆した専属スピーチ・ライターのリチャード・グッドウィンは、大統領はまったく宗教に縁遠く、カトリックの教理問答すら満足に読んだかどうかも疑わしいと述懐し、ケネディ家の相談役でボストン枢機卿のリチャード・クッシングも、ケネディは常日頃、宗教臭い人間と見られることを嫌っていたと回想した。


 いや、元ケネディ夫人のジャックリーンにいたってはもっと直裁に夫は世俗的人間と断言した。60年大統領選挙で、ケネディカトリックということでネガティブ・キャンペーンを張られたとき、彼女は雑誌インタビューに応えて、「カトリックといってジャックを批判するのは不公平よ。だってあの人、ぜんぜんカトリックらしくないんですもの。ボビィだったら話は別。彼はミサを欠かさないし、いつもお祈りしてばかりだから」と言ったものだ。(128〜129pp)

 このジャックリーンの発言は有名なもので、RFKの伝記本には必ずといってよいほど引用されているものですが、こういう文脈で読むと、また格別な味があります。

 もしボビーが大統領になっていたとしたら、彼のカトリック信仰は政策に影響したか、しなかったか?

 したとしたら、どのように?

 
 この本の第6章がカーター大統領を扱っているのですが、もしかしたらRFKはカーターみたいになったかも〜という気がします。


 カーターは信仰を心のうち深くに秘めて、政治と政策に直結させることはせず、ブッシュみたいに聖書の言葉を演説に散らばめるといったことはしませんでしたが、信仰的価値は彼の政策に影響を与えていて、それはたとえば隣人愛の精神に従って国益を度外視して人権外交を展開したところなどに見ることができると、著者の栗林輝夫先生は指摘しています。

 そんな風に、RFKの中に浸みこんでいたキリスト教的価値観は、きっと国家政策にも影響を与えたのではないかと勝手に妄想をたくましくしました。


 また、カーターは預言者的に振舞い、国民を慰めるよりも悔い改めを求めるタイプの大統領だったとも書かれているのですが、多少、RFKにもそういうところがあるような…。

 ボビーは、人々に慰めを与える司祭タイプの部分もあるけど、人々に挑戦して悔い改めを求める預言者タイプの側面もあったのではないかと、私は推測しております。

 選挙中は、司祭の側面が強く出ていたという感じがしますが、大統領になっていたとしたら、預言者の側面も浮上してきて、結構評判悪い大統領になった可能性もあるかなあ、なんて。


 大統領個人の信仰と政治がどうつながるか、非常に興味深く読んだ本でありました。もう一度、熟読しなければ。


 1968年4月5日(つまり、キング牧師が暗殺された翌日)、クリーブランドで宿泊したホテルの部屋の下に集まった黒人の人々を慰めるRFK。私の好きな写真の一つです。