ボビーの命日

 な、なんと、このブログ一年更新しなかったんですね。ひええ。

 ブログをやめる潮時かな。読者もいないし(^-^;。

 

 と思いつつ、今年もボビーを偲んでとりあえず更新。

 

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 この写真、好きなんです。

 

 ところで、『満州ラプソディ』のご紹介もしないまま一年経ってしまったので、せめてその部分のご紹介をしてボビーの供養(?)にしたいと思います。

 

 この本の第7章の題名が「ロバート・ケネディ」でそれだけで心高鳴ります。

 そもそも、この本は指揮者小澤征爾の父親である小澤開作を主題とするものですが、この開作さんは戦前にに、中国の長春で歯科医をしていた人ですが、真の「五族協和」が実現した「理想の満州国」建国という夢を追い、関東軍参謀の石原莞爾に見込まれて関東軍の嘱託として働いたという過去を持っています。

 しかし、現実はそんな彼の「理想」とは異なる方向に向かい、それを批判するようになった開作は関東軍から要注意人物とみなされて監視されるようになった揚句、すべてを手放して1944年に帰国したという経緯がありました。

 開作はこの時の経験に基づいて、アメリカのベトナムへの介入を日本の満州国建設から日中戦争への道筋と重ね合わせてその危険を警告しようとして、その相手と思い定めたのが、RFKであった、というわけで、第7章で小澤開作とRFKの面会が語られているという流れになっています。

 開作がボビーに会えたのは、息子の小澤征爾が奔走したからで、ボビーはクラシック音楽好きで、小澤征爾の指揮によるコンサートに何度も足を運んでいたことも、この会見が実現した原動力の一つとありました(この本は小説だから、本当どうかは定かでないですが。)

 

 さて、会見で開作はアメリカ政府のベトナムへの軍事介入のやり方が、かつての日本による日中戦争への道に酷似していると告げると、ボビーの表情が変わり開作に尋ねるに

「(前略)日本が中国に勝てなかったように、アメリカも勝てない。いや、日本が敗れたように、アメリカも敗れる、ということでしょうか。」

 

 次に、開作は物量や軍事力だけでは勝てない戦争がある、日中戦争で体験したのはそういうことだということを告げると、ボビーは

 「小澤さん。では、あなたは私たちアメリカが南ベトナム政府を支援して、自由で民主的な国家を造るという大義についてはどう考えますか。」

  と尋ね、それに対して開作は今の軍事力・軍事援助という形ではその大義は実現不可能と返答。これに対し、RFKが自分が抱いているベトナムの「民生安定」についての施策を説明すると、開作は、これを実施したとして、それを実行する政府官僚が障壁となるであろう、もし本当にそれを実現したければ、その施策を実行できるだけの人物を選ばなければならないと返し、それに対してRFKは

ではあなたが言うようにするため、実際にアメリカはどのようにしたらよいのでしょうか。良い解決の方法がありますか。具体的に教えていただけませんか。

と開作に教えを乞うています!この辺りのボビーの姿勢、素晴らしい!(とファンだから、RFKを誉める。この本は、開作の凄さを書こうとしているのにね。)

 その後、時間切れとなると、ボビーは開作の意見をもっと聞きたいので、建言書を書いてくれるようにと頼んで、この会見は終わっています。

 

 この本、ボビーがこう思った、ああ思ったとか書いてますが、ノンフィクションではなく、小説なので本当のところはわかりません。

 第一、ボビーが上に引用したようなことを言ったのかどうか、ここにあるような態度をとったのかどうかも分かりません。どこまでが創作なのかがよく分からないのが残念です。

 

 というわけで、一年越しで懸案事項を解決したので、ほっとしました。