キング牧師の言葉(1)
先日、NHKの「その時歴史が動いた」でキング牧師が取り上げられていて、オバマ当選に合わせているのかなと思いつつ、視聴しました。(といっても後半半分のみ。一応録画はしてあるので、近日中に全部観るつもりです。)
このところ、マーティン・ルーサー・キングJr.の説教・演説集をいくつか続けて読み、キリスト教徒として如何に生きるか、鼓舞された思いを抱いています。
剽窃問題があるといっても、キング牧師の演説にはとても力があり、人の心を動かさずにはいられない言葉が並んでいます。
下に引用したのは、1957年の「われらに投票権を与えよ」(Give Us the Ballot)という講演の一部。
われわれは憎悪に対しては愛を対決させなければならない。肉体的暴力に対しては魂の力を対決させなければならない。時の流れを超えて今も叫ぶ声が聞こえる。「あなたの敵を愛し、あなたを呪う者を祝福せよ。あなたをののしる者のために祈れ(参照:『新約聖書』マタイ5章)。
その時に、そしてその時にのみ、あなたは「永遠の命」という大学に入学を認められるのである。その同じ声が宇宙大の音声で叫んでいる。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26章52節)と。そして歴史は、このみ言葉の命令に従わなかった諸国民の白く枯れた骨で満ちている。われわれは非暴力と愛の精神に従っていかなければならない。
今、私は感傷的で浅薄な愛について語っているのではない。私は美的でロマンティックな愛である「エロス」について語っているのではない。また私は個人的友人どうしの親近感情である「フィリア」について語っているのでもない。
私が語っているのは「アガペー」(無償の愛)についてである。私は人々の心の中にある神の愛について語っているのである。私が語っているのは、一方でその人がなす悪事を憎みつつも、悪事をなす人を愛するように促す愛についてである。われわれはそのような愛を実行しなければならない。
この演説は、『私には夢がある M・L・キング説教・講演集』から引用しました。
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次のは、同じ1957年になされた「汝の敵を愛せよ」(Loving your enemies)という演説からの引用です。
最初に、我々は赦す能力を発展させ養わねばならない。赦す力に欠けている者は、愛する力にも欠けている。われわれに害悪や危害を加える人々を、何度も何度も赦す必要性を前もって受けいれなければ、敵を愛するという行為を始めることすら不可能である。
(中略)赦しは、なされた行為を無視すること、あるいは悪事の上に虚偽のレッテルをはることを意味しない。それは、むしろ、悪事がもはやこれ以上交わりをはばむものであるわけにはいかないということを意味する。赦しは、新しい出発、新しい始まりに必要な雰囲気をつくり出す触媒である。それは、重い荷を持ち上げること、あるいは負債を帳消しにすることである。
(中略)
同じように、「私はあなたを赦します。しかし私はあなたとはこれ以上何のかかわりも持たないでしょう」とは決していうことができない。なぜなら、赦しとは和解であり、ふたたび共にあることを意味するからである。これなくして、人は自分の敵を愛することはできない。われわれが赦すことの出来る度合いによって、われわれが自分の敵を愛することのできる度合が決定されるのである。
第二に、われわれは敵なる隣人の悪事、われわれに損害を与える事柄が、決してその人のすべてを完全に表しているのではないということを認めねばならない。(中略)それでわれわれは、彼らが完全に悪いものではないということ、そして彼らとても神の贖罪愛を受けられないわけではないということを認識することによって、われわれの敵を愛するのである。
第三に、われわれはその敵を打ち負かそうとしたり、あるいは屈辱を与えようとしないで、彼の友情や理解を勝ち取るように努めねばならない。
(中略)
なぜ、すなわちなぜわれわれは自分の敵を愛すべきなのか、という理論的なことへと移ろう。第一の理由は全く明白である。憎しみに対して憎しみをもって報いることは、憎しみを増すのであり、すでに星のない夜になお深い暗黒を加えるからである。
(中略)
なぜわれわれが自分の敵を愛さねばならないかというもう一つの理由は、憎しみが魂に傷あとを残し、人格をゆがめるということにある。
(中略)
なぜわれわれが自分の敵を愛すべきであるかという第三の理由は、愛は敵を友に変えることのできる唯一の力だということにある。われわれは、憎しみをもって憎しみに立ち向かうことによっては絶対に敵を除くことはできない。われわれは、敵意を取り除くことによって、敵を取り除くことができるのである。
これは、『汝の敵を愛せよ』から引用しました。
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キングの演説の原文を見るには、
がいいように思います。
ボビー関連のビデオを見ていても、キングや公民権運動に関係する映像はたくさんでてくるので、非暴力を貫こうとする黒人に対して白人が何をしたかは結構いろいろと見たと思っていますが、その映像を思い起こして、ああいいう状況の中で上記の言葉は語られたのだと思うと、キングの言葉の重みと凄みを感じます。
いろいろと彼については毀誉褒貶あるみたいですが、この言葉の力は素晴らしい。
演説において、やはり天才でしたね。
RFKはこういう言葉の力においては、いま一つ喚起力が弱かったなあ。
RFKは、行動で人を動かすタイプだから、キングと比べても仕方がないが。
上の写真は、キング牧師の葬儀に参列したRFK夫妻。