ロバート・ケネディとメキシコ系アメリカ人

 One Night in Americaの第一部を読了。

 第一部は、まさにRFKとチャベスや彼が率いるUFWOC*1との関係を扱っていて、このことについてもっと知りたいと思っていた私には涙ものの内容でした。


 

One Night in America

One Night in America

 
 引用したい箇所は数々あれど、その中の一部を訳出します。

 

 ロバート・ケネディは私たちのところに来て二つの質問をしました。…「あなた方は何が欲しいのか」そして「どのように私はあなた方を助けられるか」。だから、私たちは彼が大好きだったのです。(ドロレス・ウエルタ)

 キング牧師とはいま一つ馬が合わなかったボビーですが、チャベスとは最初から相性ばっちりでした。

 両者の類似点をある伝記作家はこうまとめているとして、引用されている文。

 背景は全く異なっているが、両者はむしろよく似ていた。二人とも背が低く、内気で、家族思いで、信仰心が厚く、暴力に強く反対し、かなりのメランコリー気質で運命論者だった。

 このまとめは要するに、アーサー・シュレジンジャーRobert Kennedy and His Times からの引用です。

Robert Kennedy and His Times

Robert Kennedy and His Times

 
 すばらしいなあと思ったのは、以下に挙げるチャベスのRFK評。

 ロバート・ケネディはデラノにやってきた。他の誰も来なかった時に。…彼は愛を持って我々に近づいた。研究の対象物としてではなく(白人はいつも我々をそう扱ったのだ)、人間として、好奇心の客体としてではなく、平等なものとして近寄ってくれた。彼は抑圧された人々を助けた。彼のしたことは、愛の行いだった。(セサール・チャベス

 相手を対等な人として近づき、助ける。
 これをキリスト教の隣人愛、スプランクニゾマイと言わずして、何と言う。

 さすが共感の人、RFK。


 非暴力を主張して長期の断食に入ったチャベスが、25日間の断食をやめるにあたって、そのセレモニーにRFKの出席を望みました。彼は前日アイオワ州に演説しに行っていたので、RFKは飛行機をチャーターしてカリフォルニアのデラノに駆けつけました。

 あるスタッフが、あなたを嫌いな人はこの行為によって考えを変えないし、あなたを支持する人はもう既にしているのだから、なぜ行くのですか、意味がありませんと言って翻意させようとしたとき、ボビーは「えーと、それは僕がチャベスのことを好きだからなんだと思うよ」と答えて、初志貫徹、デラノに行きます。

 そして、1968年3月10日、デラノでマスコミにどうして来たのかとインタビューされた際のRFKの答え。 

 夥しい数の農業労働者たち、特にメキシコ系アメリカ人と他のマイノリティのグループは、法の保護を受けていない・・・(農業労働者たちは)この国で比較的影響力を持たないグループだ。彼らは貧しい。彼らはワシントンにそんなに代弁者を持っていない。彼らは自分たちのために闘ってくれる人をあまり持っていない。誰も彼らや彼らの問題に強い関心を示していない。



 チャベスの断食を終える象徴的な儀式として、二人で「セミタ」というメキシコのパンを分け合う二人。

 この「セミタ」は、「貧者のパン」としてメキシコでは知られていると解説されています。
 

 セレモニーが終わり、最後にRFKがトラックによじ登って演説するのですが、その内容の抜粋は以下の通り。

 これは皆さんにとって歴史的な時です。この世紀における歴史的な時だと私は思います。

 私たちはセサール・チャベスを讃えるためにここにやってきました。皆さんはここに、自分たちの指導者として彼を讃えるために彼の労働組合の一員としてやってきています。

 私がここにやってきたのはアメリカの一市民としてで、それは彼がなしたことによって彼を讃えるためです。彼がしたことは、単に皆さんのためだけでなく、この州のため、いやアメリカ合衆国全体のためなのです。

 ・・・ここアメリカ合衆国にいる私たちは、とても幸運で恵まれています。正義に関わり、憐れみに満ち、正直で、真実で、全ての人のために尽す一人の人物をこの国は生み出したからです。その人物とは、セサール・チャベスなのです。


(中略)


 誰一人として暴力が勇気ある方法だ、暴力こそ近道だなどと言わないようにしましょう。

 …なぜなら暴力は何の答えももたらさないのですから。暴力は皆さんの労働組合に何の答えも与えてくれないでしょう。皆さんに対しても何の答えも与えてくれないでしょう。人民として私たちが生きているこのアメリカ合衆国にも何の答えも与えてくれないでしょう。

 そして、だからこそ、私はここに来てセサール・チャベスを讃えるのです。彼がなしたことのために、そして彼が象徴していることのために。皆さんと、この国、私たちの国の人々が彼のような人を今日、どれほど渇望していることでしょう。


(中略)


 私たち政府の側の人間にも、責任があります。私たち政府は法を持たねばなりません、農業組合員を保護する内容の法律を。私たち政府は農業労働者に団体交渉を保証し認める法律を持たねばなりません。私たち政府は農業労働者に30年前に他の労働者たち全員には与えている同じ権利、同じ正義を与えなければなりません。


(中略)


 そして、私がここに来たのは、皆さんのために、皆さんと共に、全てのアメリカ人の目標、つまり、まともな賃金、ちゃんとした家、子供たちのためのきちんとした学校、そして皆さん自身と皆さんの未来の子供たちのためのチャンスを達成するために、我々は一緒に闘うと言うためなのです。これを私は皆さんに誓います。皆さんは正義を象徴しており、私は皆さんと共に立つことを誇りとします。・・・(32〜34pp)

 

 この後、RFKはメキシコ系アメリカ人の労働者たちからもみくちゃにされ、やっとの思いで脱出して一旦は用意されていた車に乗り込むのですが、すぐに飛び出して車の屋根の上に立ち(ホントに車の上にのるのが好きだねえ)、スペイン語を交えながらの演説を試みます。

 懸命にスペイン語を交えて語りながら、不安になったボビー、下にいたチャベスを見下ろして、こう彼に尋ねました。

 僕はスペイン語をめちゃくちゃにしてる?これをちゃんとスペイン語に訳してもらうべきかな?

 労働者たちは、RFKが自分たちの言葉、スペイン語で話そうと努力する姿を見て、「それでみんな彼を愛した」と、チャベスの弟、リカルドは語っています。

 この話、好きだわ。ボビーの少年ぽさが出ていて、ちょっと可愛い。(42歳の男性を可愛いというのはいけないかもしれませんけど。)


 

 何回見ても、このRFKの表情は素晴らしいと思う。  

*1:1966年にチャベスが創設したNFWAは他の農業労働者の組合と合併し、UFWOCとなった。リーダーはチャベスで変わらず。UFWOCは、72年に名前が短縮されてUFWとなった