Bobby, Happy Birthday to you!
今日は、ロバート・フランシス・ケネディの83回目の誕生日です。
おめでとう、ボビー!
鮮魚市場のおじさんにキスされてますが、心なしか顔がひきつってみえるRFK。
1964年ニューヨークでの選挙運動中の一こまです。
どーでもいいことではありますが、RFKとバレリーナのマイヤ・プリセツカヤは、同年同月同日生まれなんですよね。
昔、Robert Kennedy and His Times を読んでいたら、そう書いてあった。(と思い、本を引っ張り出し今、確認しました。)
キューバミサイル危機の時にRFKが交渉した相手のソ連大使ドブルイニンが、危機が去った後、11月にアメリカにボリショイ・バレエ団が来た際に、RFKにプリセツカヤを紹介し、彼女がボビーに「あなたと私は同じ年の同じ日に生まれたのです」と言ったというエピソード。(526p)
ボビーは彼女に「11月20日にはどこにいますか」と尋ね、プリセツカヤは「ボストンです」と答え、ボビーはプレゼントを贈りましょうと言ったと、彼の日記に書いてあるそうな。
そして、RFKとプリセツカヤが共に37歳となった11月20日に、ドブルイニンがRFKのオフィスに来て、誕生日プレゼントだと言って、フルシチョフが30日以内にIL-28戦闘機(かな?)を移動させると約束した手紙を渡しました。
それから、その日の午後、今度はボルシャコフ(フルシチョフの個人的なワシントンにおける代表という役割を担っていた人物みたい。CIAは彼はKGBだと思っていた模様)がRFKを訪れ、ボビーの頼みでボストンにいるプリセツカヤのためにロシア語でハッピーバースデイを歌ったそうです。(527p)
それが、プレゼントだったわけですね。はっきり書いてないけど、彼女に電話したんでしょう。
ボビーは日記に「彼がこれ(ハッピーバースデイを歌ったこと)をクレムリンにどのように報告したのか、分からないが」と書いてます。
ボルシャコフやドブルイニン、特に後者とRFKの間には特別な友情関係が築かれていたそうですが、それをアメリカ側もソ連側も好まず、ボルシャコフはソ連に戻されてしまうというオチ(?)がついてました。
ところで、ソ連に帰らねばならなくなったボルシャコフにボビーは短い手紙を書いてます。
それが、反共主義者だった彼らしく
(前略)
ともあれ、私たちはみんなあなたを名残惜しんでいます。私はあなたの共産主義者のご友人たちに、どれほど私たちがここでいい人間であるかを語っていただきたいのです。そして、彼らがあなたのことばを信じますように。
(中略)
私の友人、マイヤによろしくお伝え下さい。あなた方お二人で真新しい贅沢なジェット機に飛び乗って、こちらに飛んできて私たちに会ったらどうですか。彼女は踊れるし、私は歌えるし、あなたは演説ができるでしょうから。(後略)
と書いてて、ほのかに可笑しい。(527p)
もしかして、二人に亡命を勧めてませんか、ボビー。
それに私は歌えると書いていますが、息子デイビッドが教会でお父さんが大きな声で歌うのがとても滑稽で、家族を恥ずかしがらせたとRFKの死後に書いているということは……歌が下手だったのでは?
まあ、そんなことはいいから、Happy Birthday, Bobby!