フリーダム・ライドつづき


http://www.fujinaga.org/ から続きです(昨年からの持ち越し!)

 フリーダム・ライダーたちはバーミングハムでの暴力に遭いつつも、モントゴメリーに向かいました。
 しかし、そこで問題が発生。

 バスの運転手が運転をボイコットし、ライダーたちはモントゴメリーで足止めを食ってしまいます。

 この街は有名なバス・ボイコット事件を1年以上やったキング牧師ローザ・パークスで有名な街でしたから、フリーダム・ライダーたちは、キング牧師の側近中の側近である、アナバシー牧師の教会に避難します。

 しかし、白人優越主義者たちが、この教会を包囲。

 この状況をRFKが送った特使であるシーゲンセラーが逐一、ロバート・ケネディ司法長官に報告します。さあ、どうする、ボビー!

 というわけで、以下サイトからの引用です。(改行は読みやすさを考えて、私が適当にしております。)
 

 ケネディ司法長官は、まず、第2バプティスト教会のライダーたちを救うために動きます。アイゼンハワーがリトル・ロックで行ったように、連邦軍を投入することはできる、しかし、そうすれば次の選挙で南部は兄に票を投じないかもしれない。

 そこで司法長官は、通常治安維持のためには使われない、ハイウェイパトロールや国立公園の警察官からなる特別部隊を編成し、連邦政府の機関が動いたとは思われない格好で、モントゴメリーに向かわせます。


 そして、バーク・マーシャル司法次官、ジョン・ドーア公民権部長との夜を徹しての会議の結果、南部の知事に働きかけることにしました。ライダーたちを治安紊乱の容疑で逮捕することを許す代わり、アラバマ州内ではアラバマ州兵が、ミシシッピ州内ではミシシッピ州兵がライダーたちを保護すること。(中略)


 ケネディ家はアイルランド系移民カトリック。(中略)アイルランド系移民にも、特に移民1世には、民族ゆえの差別・抑圧の歴史がありました。19世紀にはカトリックの教会が焼き討ちにあうことなど決して少なくはなかったのです。

 それゆえ第2バプティスト教会の模様を知り、ロバート・F・ケネディは運動家達に強い愛着を感じるに至ります。その結果、南部では黒人の生命が政府の機関によって「守られる」ことなどないという実情に憤慨していたのです。

 その模様は、バスの運転手を確保するために、グレイハウンド社と会談した際、苛立ちとなり顕れることになります。


(中略)


 ロバート・ケネディは、ハーヴァード大卒のお坊ちゃんとは思えない荒々しい声で、グレイハウンド社との電話会談の際にこう言ったのです。


「わからないのか、グレイハウンドさんよ、バスを用意しろと言ったら用意するんだ、ええ、グレイハウンドさん」

 
 しかし、この会談を運動家たちが知ることはありません。この時の司法長官の行動は、SNCCのような理想主義に燃える青年たちには幻滅を与えるものだったのです。他面、ロバート・F・ケネディにとっても、苦渋の決断だったのです。


 兄の選挙の参謀をやっていた頃からこのときまで、ロバート・F・ケネディの行動にはひとつの特徴がありました。それは「裏工作」ということになるでしょう。しかし、ここで決して見過ごしてはならないことがあります。


 ロバート・F・ケネディは大きく成長するアメリカ黒人の運動を影で支援はしても、それを押さえ込むことはしなかった。南部の「現実」に対面し、苦渋の解決策を講じたロバート・F・ケネディは、その後運動とともにアメリカ社会を見つめながら、大変貌を遂げていくことになります。しかし、ロバート・F・ケネディ、兄の大統領より、ずっとカッコいいと思いません? 

 はーい、思いまーす!!