ボビーと早稲田大学

 先日、早稲田大学の校歌についてちょっと書きましたが、その際、そういえば昔、早稲田の校歌とボビーの来校に関する文章をネットで読んだなあと思いだしました。

 確か、ちゃんと早稲田が出していたものではなかったかしらと思い、検索してみました。

 で、かつて読んだ文章は、たぶんこれだと思われるものを見つけましたので、とりあえずコピー&ペーストしてしまいます。(大学が出しているのかどうか、ちょっと不明ですが、いい加減なものでもないような。)

http://www.waseda.jp/student/weekly/essay/oen-798.html より
(応援歌ものがたり 798号 1997年4月)

 

校歌にまつわるエピソードを挙げれば枚挙に暇がないが、最も有名なものを次に挙げてみる。


 昭和37年2月6日、ロバート・ケネディ法務長官の講演会が大隈講堂で行われた。しかし演説が始まると、反対派学生たちが暴徒と化し、凄まじい怒号や野次でケネディ氏の声がかき消されてしまった。

 おまけに原因不明の停電まで起きる始末で講堂内は大混乱。電気がついてもなお収集がつかず、ケネディ氏もなす術なく立往生。事態は最悪であった。

 そのとき、学生席にいた応援部旗手・長沢慎治は思っていた。「こんな状態のままケネディさんを帰してはいけない…」。そして、壇上に上がるチャンスを得ると、学生に向かって大声を張り上げた。

 「早稲田ーッ、大学ーッ、校歌ー!」。両手を広げた長沢の指揮に大多数の学生は「待ってました」とばかりに大合唱で応えた。一部学生の心ない振舞いに対する溜めこんでいた怒りが、一気に爆発したのだ。

 左翼学生も次第にこれに同調。3番まで歌い終わるころには、野次は一つもなくなっていた。そして、万雷の拍手が大隈講堂を包み、騒動は一件落着したのである。

 その後の移動の飛行機では、「早稲田、早稲田…」のフレーズを上機嫌で口ずさむケネディ氏の姿があったという。

 …そうか、そもそも講演できる状況ではなかったわけだ。(ボビーは何を話すつもりだったのかなあ。)

 1960年代ですものねえ、学生運動華やかなりし頃で、しかも米帝打倒が叫ばれていた時だから、無理もないですね。

 それにしても68年の選挙運動の時に早稲田の校歌をRFKが歌った背景には、こういう出来事があったわけだ、と一人うなずく私でありました。

 早稲田を訪問したボビーに関することで、当時の早稲田大学の学生だった方(当時の学友会委員長)が書かれた文章も見つけましたので、それも貼り付けます。一種の資料として。(転載ご自由とありましたし。)

  http://takakan.blog.shinobi.jp/2009%E5%B9%B42%E6%9C%88/%EF%BD%92%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E6%B0%8F%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%85%AC%E9%96%8B%E8%A8%8E%E8%AB%96%E4%BC%9A

 日米安保条約の改定に米当局の「アジアへの軍事的進出」の意図を強く感じ、岸内閣の「戦前体制への復帰」の姿勢に危機感を抱いた、少なからぬ国民は、日本歴史上初の大衆運動、国民運動を展開しました。岸内閣を退陣させ、その後の米当局の「アジアへの軍事的進出」路線に大きな「制約」を与える「民衆運動」でした。



 そんな国民大運動も終わり、日本の学生運動も停滞期、衰退期にあった時期をねらって、米国大統領ジョン・F・ケネディ氏の実弟である司法長官ロバート・ケネディ氏が日本に乗り込んできた。そんなふうに私は受けとめました。しかも、日本の学生運動の拠点の一つである早稲田大学に出向いて、学生との公開討論に応ずるという「大胆な意図」も感じました。


 開拓者魂を受けつぎ、「フロンティア・スピリッツ」を最高の規範とするアメリカの「建国の精神」「アメリカ民主主義」を携えて来日し、早大で学生との公開討論を強く希望したというR・ケネディ氏の意気込みに何か「感じるもの」が私にはありました。当面の試験勉強は最小限に抑え、R・ケネディ司法長官の学生との公開討論に「しっかりと」応ずるのが学友会委員長としての私の使命ではないかと「腹をくくり」ました。

 R・ケネディ氏が学生との公開討論会を希望しているのであれば、学生側は「公開質問状」を事前に準備し、広く都内の学生にも討論会への参加を呼びかけようということが、学友会内部の打ち合わせで決定されました。


6項目にわたる公開質問状は一晩で書き上げました。
http://www10.plala.or.jp/tika-infre/situmonj.htm

 前文では、アメリカ合衆国の建国の歴史から学び、英国との独立戦争を経て勝ち取った「自由」と「独立」の精神をたたえるとともに、以下の6項目の事項を質す内容です。

1 沖縄県民の祖国復帰の願いは、すべての日本国民の願いです。この一致した切実な声に対して、率直に回答されたい。

2 「わだつみの悲劇」をくりかえさないためにも、日本国憲法第9条の立場からも日米安保条約の破棄と貴国軍隊の本国引き上げが求められています。日本の「中立化と完全な独立」について、あなたはいかなる考えを持っておられますか。

3 米政府は「アメリ共産党とその同調団体を外国の手先として登録を強制し、登録を拒否する者に対して1日1万ドルの罰金を課す」と決定したと報道されています。「信念を処罰する」ことを禁じた米国憲法の理念からいっても、多くの批判があなたに集中しています。この問題の最高責任者である司法長官としてこの批判に答えていただきたい。

4 公式の席上で、「西ベルリンの自由を守るためには核戦争も辞せず」と発言されていますが、現在の核戦争が人類になにをもたらすかを十分承知の上で、十分考えた上での発言なのでありましょうか。

5 ケネディ政権は、CIAを使いキューバ民共和国に対する武力干渉を行ったことは世界周知の事実です。米国政府は、他国がその住民の意思に基づいてさまざまな政治制度に基づく国家を建設することに同意できないのでありましょうか。

6 UPI通信は「南ベトナムでの戦闘にアメリカ正規軍が、直接参加している」ことを報じています。これがもし事実であるならば、米政府は民族解放闘争に公然と干渉する方針を決定しているのでありましょうか。これは、諸国民の独立を保障したアメリカ独立宣言といかなる関係にあるのでしょうか。あなたの責任ある回答を求めます。


1962年2月6日
アメリカ合衆国司法長官 ロバート・ケネディ殿


 公開質問状を書くにあたり、心に留めたことが二つあります。

 一つは、「事実をならべて、道理を説く」という姿勢を貫くということです。二つ目は、米政府の実力�・2といわれるR・ケネディ氏を大隈講堂に迎えての公開討論会の場なので、決して「礼を失した」内容や行動はとらないということです。

 一つ目の「事実をならべて、道理を説く」という姿勢は貫くことができました。質問状の原稿を印刷会社に持ちこんだ時、5,000円の予算しかないので、5,000枚刷って下さいと頼みました。原稿に目を通した印刷会社の社長は、これはいい内容だ!印刷代はいらないから必要な枚数だけ刷ってやると言ってくれました。ご厚意に甘えて3万枚刷ってもらいました。その公開質問状を当日の朝、都内の主要ターミナル駅や連絡の取れた大学構内で配布しました。


「言葉が人の心を動かし、人の心は世の中を動かす」ということをほんの少し実感することができた体験でした。


 二つ目の「礼を失した」行動は決してとらないという点では、いささか反省する点もありました。なにせ3万枚の質問状を駅頭や主要大学の構内で配布したのですから、開会の3時間も前から大隈講堂前は人で埋まり、左翼学生や右翼学生は勝手に「アジ演説」やミニ集会を始めていました。R・ケネディ氏歓迎日本委員会の中曽根康弘委員長も地元群馬県から「青雲塾」のメンバーを200人程度動員したと後で聞きました。

 

 右翼(?)も左翼も動員合戦をしたわけですから、会場内は開演前から騒然としていました。一番バッターに指名され壇上に招かれた私は、「沖縄の祖国復帰」を鋭くせまりました。会場内は「ケネディ、ゴーホーム!」「沖縄をすぐ返せ!」の怒号やヤジの応酬で大混乱となりましたが、最後は「都の西北」の大合唱で「無事」に終わりました。

 
 駐日大使だったライシャワー氏の回顧録によりますと、左翼学生が大量動員をかけ、公開質問状を準備しているとの警備当局の情報を入手していたので、開演直前まで出席中止を検討したようです。「敵に背中を見せるわけにはいかない」とR・ケネディ氏が決断し、大隈講堂に乗りこんできたのが事の真相のようです。文字通り「敵ながら天晴れ」と強く感じました。

 上記の質問状の全文は、記事中に示されているように、以下のサイトで読むことができます。

http://www10.plala.or.jp/tika-infre/situmonj.htm

 上記の質問状に対するボビーの答えを聞いてみたかったです!


 ところで、反対派の学生とも討論しようという姿勢は、ボビーが貫いた姿勢で、南米でも派手にやりましたね。トマトとかぶつけられて大変だったようですが(^_^;)。

 最後はあわや乱闘にまでなりかかった南米での学生との討論(というか、単に卵やトマトを投げつけられているだけ)のシーンは、テレビドラマ『Robert Kennedy and His Times』で出てきます。

 最初、このシーンを観たときはちょっとびっくりしました。

 下のが、私が持っているそのドラマのビデオの表紙(というのか)。
  
 

 演じていた役者さんはよかったが、ちょっと顔が…。