Black Like Me

 9月の終わりにさる会合でRFKについて話をした際、出席されていたオーストラリア人の神父さんが、60年代の黒人問題を理解するのに是非読んだらいいと勧めてくださったのが、Black Like Me
 
 それは日本語訳されているよと言われ、その邦題は確か『私のように黒い夜』だったと思うと告げられ、いつか読もうと心にしっかりと刻みこみました。

 そして、先日、髪を切りにいったついでに向かいの古本屋さんにふらりと入り、棚を眺めていると…あったのです。その本が。

 即座に購入しました。(あ、この本ボビーがまだ生きている時に出版されたんだ、なんて思っちゃうところが…。)
 
 

私のように黒い夜 (1967年)

私のように黒い夜 (1967年)

 おっと、この本、昨年復刻再販されていたんですね。知りませんでした。
 しかもこの本出版後の「余波」に関する一章や、公民権運動の流れを説明する文章や、グリフィンの業績について述べたターケルの「序文」などなど、多くのことが追加されているらしい。
 ううむ。これは図書館で是非みなければ!
(67年度版購入は早まっていたか。しまった〜。)

 

私のように黒い夜

私のように黒い夜


 この本は、再販本の副題に示されているように、白人が肌を黒くして、黒人として南部(それも、ディープ・サウス)で生きてみるという体験型ルポルタージュです。
 
 この体験をあえてやってみたのはいつか。

 本を開くと最初のページに「1959年10月28日」。

 59年から60年という、公民権運動が盛り上がり始めた時期、そして黒人への攻撃が強まり始めていた時期に、あえて黒人として差別待遇を受けてみるためにジョン・ハワード・グリフィンはこの潜入をやったわけです。

 こういう実際に自分が取材対象の中に入っていくという潜入型ルポとして、以前『ニッケル・アンド・ダイムド』や『核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記』を読んだことがありますが、グリフィンの試みはこれらに比べて、はるかに危険で勇気のいることだったなあ。


ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実

ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実

核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 (朝日選書)

核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 (朝日選書)


 と感心しつつ、忙しくてまだろくに中味を読んでいません。(^_^;)
 それに結構気合が必要な読書になりそうなので、気力が充実していないと、本に負けそう。

 読み終えたときに、ここに書ければいいなと思っています。

 皮膚の色という、自分ではどうすることもできないもののために差別待遇を受けるというのは、どんな気持ちだろう?

(中略)

 黒人になる以外、どうしたら白人が真相を知ることを望めるだろう?
(中略)

 私には、二つの人種の間のギャップをうめる方法は、黒人になる以外にないように思われた。私はそれを実行しようと決心した。(2〜3頁から抜粋)