『わが子ケネディ』

 ローズ・F ・ケネディの手になる『わが子ケネディ』(徳間書店 1974年)からの抜粋。
 

 一家と親しくなった看護婦のリューラ・ヘネシーは子供のときのボビーについてこう回想している。

「12歳のとき、ボビーはすでに“人間志向”的だった。人間が彼に興味を起こさせ、人間の問題とトラブルに彼はたいへん心を痛めた。彼の眼はそれを素早く見つけるだけでなく、心がすぐに追っかけた。 

 渡英中、一家がおまいりした教会(カトリックのはしくれであるRFK42の感想:この訳はいただけませんねー。教会はおまいりする所ではなく、行く所では)ではめいめいの僧(RKF42:これも司祭と訳して欲しかった)が自分の暖炉の燃料は自分でまかなわなければいけなかったが、ボビーはすぐにそのことを見てとった。また、仲の良い僧が資金がなく、したがって燃料に困っていることも知った。ボビーはそれを父親に話し、父親は一年分のタキギを送るよう取り図らった。

 このような人間に対する深い愛情から、私はケネディ家のうち、いつか神学校に入り、宗教家になるのはボビーだと思った。しかし、そうはならず、彼は世俗の人の使徒になった。 (114頁)

ボビーはジャックときわめて親しかった。彼と一体だと考えていた。もちろん子供のときはそれほどでもなかった。八歳の開きがあったが、これは子供時代には大きな差である。しかし大きくなると、違いが少なくなり、互いに同じ利害を持つ、同等で同時代の仲間と見るようになるものである。ジャックとボビーの場合もそうだった。

 ボビーはジャックの1946年の下院選挙で運動し、第一回の上院選を指揮し、大統領選も指揮し、ジャックの内閣に加わり、大統領職に起きたあらゆる問題で右腕として働いた。二人は兄弟として忠誠心と感情と思い出の幾百万もの結びつきを持ち、考え方と行為でこれほど密接に結びついている者もいなかった。 (221〜222頁)

 これについては、万言語りつくされてはおりますが、母親が語っているところがミソかな、と。