ボビーの「ラポート・トーク」
「中日新聞」に2009年1月15日の夕刊に掲載された「2009 ことば考7 政治不信 貧弱言語で共感失う」 に社会言語学者の東昭二氏(立命館大教授)が麻生首相のことばの力が弱いことを書いているのですが、そこに「ラポート・トーク」という言葉が出てきます。
(前略)予算案や景気対策が原因なのではなく、麻生太郎首相の語ることばが国民を大きく失望させているということだ。
ことばには、大きく二つの働きがある。一つは、事実、政策などを伝える情報中心の「リポート・トーク」、そしてもう一つは、相手と自分との「つながり」、共感、仲間意識などをもり立てる情緒中心の「ラポート・トーク」である。
先の官房長官ら(そして多くの政治家たち)は、「リポート・トーク」をしっかりやっていれば、国民は理解してくれる、支持李は回復すると考えているようだ。大きな間違いである。(中略)
むしろ多くの国民は、政治家の「ラポート・トーク」を通じて、その人がいかに誠実であるか、自分とどういう関係があるのか、同じ価値観を共有しているのか、共鳴できるものがあるか、信頼するにたるか、などを瞬時に直感的に判断するのである。政治家にとって最も必要な資質は、相手のとの「つながり」「関係」を作り上げる「ラポート・トーク」にあるといえる。
(中略)
…それ(引用者注:麻生首相の「本音」)は他者とのつながり、関係、助け合い、共感、仲間意識を作り上げることばではなく、孤立した個人中心のことばであり、本来の「ラポート・トーク」から大きく逸脱したものであったといえる。
ことばを使って、聞き手、国民に語りかけ、説得し、共感を与え、鼓舞し、勇気付けるはずの政治家たち。今日の政治不信は、誠実で効果的な「ラポート・トーク」ができない政治家たちの、貧困な言語力(そして価値観)に起因しているんのではないだろうか。奇しくも、アメリカでは、卓越した言語力の持ち主であるオバマ氏が、新大統領として就任しようとしている。その言語力の根幹をなすものは、聞き手一人一人を巻き込み、他者との共感、仲間意識を盛り上げる、共通の価値観、責任感にもとづいた「ラポート・トーク」である。
(中略)
日本の政治家たちが、ことばの力を取り戻す方法、それは日本の風土にあった効果的で誠実な「ラポート・トーク」をすることにある。(中略)
必要なのは、為政者としての見識、価値観が深く埋め込まれた「ラポート・トーク」なのである。
これを読んで、そうか、RFKがしていたのはまさに「ラポート・トーク」だったんだ!と目からうろこが落ちました。
むしろ多くの国民は、政治家の「ラポート・トーク」を通じて、その人がいかに誠実であるか、自分とどういう関係があるのか、同じ価値観を共有しているのか、共鳴できるものがあるか、信頼するにたるか、などを瞬時に直感的に判断するのである
だから、ボビーの演説やインタビューに答えている映像を見ていると、信頼感を感じるのかと一人納得した次第。
カリフォルニアでRFKの選挙戦を手伝ったチャールズ・エヴァース*1は、ボビーを自分が信頼できる唯一の白人と呼び、「彼は私の兄みたいだった」と言ったとThe Boston Grobe June 6, 1968 にRobert Healyが書いています。
65年に大規模な黒人暴動が起こったロサンゼルスのワッツ地区でも、ボビーへの信頼は絶大でした。
以下は、同じボストン・グローブの記事から。
月曜日の夜、ケネディはロサンゼルスのワッツを車で通った。彼はハーメルンの笛吹き男のごとしだった。子供たちは彼についていこうと出来る限りの速さで自転車のペダルをこいでいた。一人の大きい太った女性がぴょんぴょん飛び跳ねながら叫んでいた。「神よ、彼を祝したまえ、祝したまえ、祝したまえ。」
そして彼らが手を伸ばして彼の手に触れることが出来たとき、彼らはアメリカ合衆国大統領に触れたと感じていた。少なくとも、彼は彼らの大統領だった。
彼の誠実さを信じたのは黒人だけでありません。
彼(RFK)は少なくとも今年の三つの予備選で、自分には白人の低所得者層にも訴えかける力があることを証明した。この人達もこの世のいいものから退けられてしまっていると感じている人々である。
最終的にはその人の「人格」ということになるのでしょうか。ことばににじみ出てくるのは、結局はその人そのものなので。
"An Honorable Profession": A Tribute to Robert F. Kennedy
- 作者: Pierre Salinger
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前回、および今回の記事の引用はこの本から。
丸腰のボディーガードしかいなかったボビーの安全を守ろうとワッツの黒人たちが自主的に結成したボディーガード団(Son of Watt)に守られているボビー。
いやあ、愛されてますねえ。