A Time It Was

この写真集は掛け値なしに素晴らしい!
 R.F.K: A Photographer's Journal のような反転写真は当然なく、冒頭にあるピート・ハミルのエッセイは胸を打ち、写真家の文章も文句なしです。アマゾンでの評価で五つ星は当然!

 最後のページに

 この本はロバート・F・ケネディに捧げられている。彼はこの国を変えたであろう人だった。Viajamos juntos.(我々は共に旅をする。)

 と献辞が書かれているのを読んで胸が熱くなってしまった私。

 

A Time It Was: Bobby Kennedy in the Sixties

A Time It Was: Bobby Kennedy in the Sixties


 心密かに危惧していた、The Last Campaign と万が一内容が殆ど同じだったらどうしようという心配も杞憂に終わりました。もちろん写真は限られていますので、重複する写真も半分くらいありますが、新たに目にする写真がいいため気になりませんでした。それにビル・エプリッジ(Bill Eppridge)の文章がいいのです!


 1966年に、ボビー・ケネディ上院議員として他の民主党候補者の選挙に応援として全米を飛び回っていたとき、フォトジャーナリストのエプリッジはLIFEからケネディを追いかけるようにと頼まれます。
 その時のRFKはまだ「故ケネディ大統領の弟」でしかなく、人々が彼に殺到するのは彼自身を見るためというよりも、ケネディ大統領の思い出を見るためであり、彼自身は大衆から彼はどんな人間で、彼らが捜し求めている答えを与え得る人物かどうかを吟味されている最中でした。

 しかし、それから2年後の予備選挙の時には、RFKその人が、人びとから渇望される存在になっていた。

 そんな風にエプリッジは書いています。

 

 ボビーは1966年と同じ人間だったが、今回はもっと駆り立てられているように見え、また、彼は(進むべき)方向を掴んでいる風だった。

 6月4日、エプリッジがニューヨークの編集部に電話をかけると、編集長はこう言いました。

 「こっちの共和党の多くが、もしボビーがカリフォルニアで勝てば、彼が次の大統領になると信じ始めているぞ。俺たちはそれを確信している。本選でニクソンは彼に全く触れることもできんだろう。君には今夜、出来る限り彼にぴったり張り付いていて欲しい。とにかく彼と一緒にいるんだ。」

 そして、RFKからずっと間近にいていいという許可をもらったエプリッジは、あの有名な写真、撃たれたボビーの頭を抱えるヒスパニックのバスボーイ、ホアン・ロメロの写真を撮ることになりました。



 その場に共に居合わせたCBSのカメラマン、ジミー・ウィルソンはRFKが血を流して倒れている姿を撮影するのに耐え切れずカメラを下ろしてしまい、「撮るんだ、ジミー、撮るんだ!」と音響係が彼を怒鳴りつけ、ジミーは気を取り直してフィルムを使い切るまで撮影すると、そのままRFKのために泣き出したなどというエピソードが書かれていて、臨場感溢れる筆致に目を潤ませながら読みました。

 そのまま、病院の話、葬式の話、ニューヨークからワシントンD.Cまでの列車の話と続き、涙をにじませつつ読み進んだのですが、その涙のうちに不謹慎にも笑ってしまったのは
「死せるRFK、生けるLBJリンドン・ジョンソン大統領)を怒らす」というエピソード。

 
 ニューヨークからRFKの棺を載せた列車がワシントンに到着し、棺は霊柩車にのせられて出発したのに、その次に続くはずの大統領のリムジンがなかなか発車せず、しびれを切らしたプレス軍団。
 ついに、「我々はいつだってケネディ候補の真後ろにぴったりくっついて走っていたんだ!リムジンはほっといて霊柩車の後に続け!そこが我々プレスの定位置なんだ!!」とプレス用バスの運転手に強要して、プレスのバスが大統領リムジンの前を走ったそうです。

 すごい話。日本では考えられない。

 ジョンソンは怒り狂い、順番を譲れと何度もトレンチコートで決めたシークレットサービスのお兄さんを一人ずつバスに送るも、その度にプレスは、ここが我々の定位置だ!と頑として譲らず、とうとうシークレットサービスが束になってやってきて、プレス用バスは三番手になったとか。

 死してなお、ジョンソンを怒り狂わせるロバート・ケネディ。さすがです。最後の最後まで仲の悪い二人ですねえ。
 このプレスのLBJへの反乱にボビーが棺の中で笑い転げていそうで、なんとなく可笑しい。