「一人のキリスト者」

 『カトリック生活』というドン・ボスコ社(サレジオ会)が出している月刊誌に、RFKに関する記事が二つ、掲載されていました。

 以下は、その一つ目、1968年8月号に載ったRFK追悼記事(「一人のキリスト者」)からの一部抜粋です。

 記事の一部の抜粋。

 私たちの一人の兄弟、私たちの最もすばらしい兄弟が殺された。かれは、政治家であるだけでなく、なによりも、一人の人間、一人のキリスト者だったからである。
 かれの口には、しばしば、“神”という名がのぼるのだったが、しかしそれよりも、その名は、かれの心に深くきざまれていた。それゆえにかれの心には、自由と平和の理想がやしなわれていたのである。イエズスが祝福した理想、“平和のためにたたかう人はしあわせである・・・”。
 ロバートは、正義を宣言していた。そして、“闘士”であったがゆえに、誤謬をみれば、非難の言葉を遠慮なく発していた。かれは、富豪の、勢力ある、アメリカでも最も裕福で力ある家族に属してはいたが、しかしそのために、自分自身をさし出して支払わねばならない時に、逃げ出したことはない。(5p)

 妻から、子どもたちから、兄弟たちから、友だちから、またはかれと握手したいばっかりに近よってくる路傍の人にも、愛されていた。かれは、自分のまわりに多くの愛を集め、そして、それをよりゆたかにして人に分け与えるのであった。(5p)

 ロバートには、多くの敵もいた。貧しい人々、あわれな人々の不幸を、自分の野心のために利用するとざん言されたが、真実をよく見分けることのできる貧しい人々に向かっていった、
 “あなたは私の兄弟だ”と。
 いま、彼は死んだ・・・。
 “この世に、これほどの勇をもってくる人は、世に、ゆるされない。
  この世は、その人を抹殺するために、ようしゃなくかれを殺す。”
  (ヘミングウェイ
 (5P) 

 ケネディ家の一番若い兄弟は、ロバートが1966年、南アフリカの旅行中、アフリカの青年たちに向けてした演説のある一節をくりかえしている。


“隣の人々の非難、仲間の非難、社会の排斥を耐え忍ぶ力と勇気のある人々は少ない。倫理的「勇気」は、戦争中の勇気よりも、知恵よりも、まれなことである。それでも、これは、この勇気は、改革にたえず抵抗する世界を変えようとする人々にとって、最も生命的、最も重要な心構えである。しかし私は、今の世代において、倫理的衝突にいどむ勇気のある人々は、世界のどんなところでも、多くの友人たちをみつけることができるであろうと確信している・・・”

 以上のことばには、ボブ・ケネディの真実の遺言がある。(6p)


 この記事には、何枚も写真が掲載されていますが、その中の一枚は、RFKの棺を載せた列車に向かって

Bobby, all moral people love you

 と書かれたプラカードを掲げている男性が写っています。泣けるなあ。