「でもわたしは惜しまない」

 事情あって、60年代のカトリック系メディア(日本語)に目を通していたところ、面白い記事を見つけました。

 それは、聖パウロ女子修道会が出している『あけぼの』という女性向け月刊誌に掲載されたRFK暗殺後にローラ・ベルグクィストによってなされたローズ・ケネディ会見記の抄訳。タイトルは「ケネディの母は語る―でもわたしは惜しまない」

※この雑誌は現在も出版されており、キリスト教系の書店で容易に見ることが出来ます。

http://joshipaulo.jp/?pid=6701968


 『あけぼの』1969年5月号に掲載された「ローズ・ケネディ会見記」は次のリードで始まります。

 ロバート・ケネディが暗殺されて以来、彼の母がこれほど語ったことはいまだかつてない。ひとりの娘は重症身障者施設にはいっており、夫は不自由なからだを車いすに寄せたまま、話すこともできなくなってしまった。そして、あのようにジャクリーヌはケネディ家を去って行った。さまざまな人生苦は、ていていとそびえるかしの大樹にも似たこの母をあらしのごとく襲った。


 会見記の抄訳のさらに抜粋。

 自分では気づいていないらしいのだが、「あの悲劇的事件以来・・・」と彼女(ローズ夫人)はしばしばそう繰り返す。まるで、ある確かなめじるしででもあるかのように・・・。どんな悲劇的な事件なのであろうか?彼女を打ちのめした多くの悲劇の中の、それはどれであろうか?11月23日は、ジョン・ケネディが暗殺されてから5年目(注:1968年の夏の終わりごろにこの会見記は書かれている)になる。そしてちょうどこの月、ロバート・ケネディは43歳になるはずであった。ボブ(ロバートの愛称)の死は、ローズ夫人を打ちのめした。わたしたちの対話の中で、彼女は幾度もそれを口にした。

(前略)ローズ夫人は、ひときわ高い声で、紙に書きとめたボブへの思いをひれきしてくれた。「宗教的心情の深い男で、ともかく、彼の父親もわたしもあの子がたいへん気に入っていました。」そこまで言うと、ローズ夫人のまぶたは涙でふくれ、声は中断された。「あの子のことを話しはじめると、いつもこんなでだめなんです」と、しばらくして気をとりなおした彼女は言うのだった。そしてそばにいるテッディに、「あの子はあなたたちみんなの分までわたしたちに心配をかけなかったわ」と言った。

 ケネディ家の古い友人は言う。「ボブの死はローズ夫人にとって恐るべき喪失でした。ジョンが殺されてからボブはその時間の大部分を母親といっしょに過ごしていました。ボブはまさに彼女のささえでした。」
 そして娘のジョーンは言う。
 (中略)
「ボブはわたしたちみんなとは少し違っていて、母は特別にボブをかわいがっていました。女の子4人のあとに生まれた男の子でしたので何かにつけてボブよりもずっと大きいジョーやジョンにボブはなかなか相手にしてもらえませんでした。ボブはいつも小さな騒動を起こしておりました。ボブが大統領候補を決断したとき、母はしあわせそうでした。けれど、彼の長髪をとても気にしていました。『お年よりはだらしない髪をしている人には投票しませんよ、っておまえ、にいさんに言っておくれ』と母は自分では言わずにわたしに言わせていました。」


 ボビーの長髪(当時はこれで「だらしない長髪」だったんですねえ)は、一部の人からとやかく言われてたらしいですが、母親からも言われてましたか。

 ロバートは大統領に立候補するとき、母ローズ・ケネディの同意を求めたのであろうか?「わたしはあのころハイアニス・ポートにいました。ボブがそのことでわたしの同意を求めたりしなかったことは確かです。ただ、決断したあと電話をかけてよこしました。それも、単純に『出馬しなきゃならなくなったよ』と言っただけでした。そして彼が信じているいっさいのことが、危機にさらされていると言い加えました。それはベトナムにおける平和からアメリカの貧民層の状況にいたることがらでした。彼は戦いつづけなければならなかったのです。ボブはジョンのことを考えていました。わたしは何も言うことがありませんでした。」

 6月(1968年)には、手にローソクを持ち、ボブの墓に向かってアーリントン墓地の丘をのぼるローズ・ケネディの姿が見られた。ローズはあのボブの葬儀のときを思い出す。「とても感動的でしたわ。『ボビー、ぼくたちはきみを愛している』というプラカードもありました。あらゆる年齢層の人たちの群れがえんえんと続き、屋根にまで人の姿が見えました。あらゆる社会の白人黒人男女がいて、わたしたちが会釈をしたり、テッディの姿が見えたりすると、彼らの顔は一瞬ぱっと輝くのでした。ボビーはどんなに人気があり、民衆とどんなに強く結ばれていたことか!生きていたら、きっとボブは大統領になっていたでしょう。
 ボブはほんとうに自発的でしたから、それだけにざせつも大きく劇的でした。(後略)」


 アイルランドの一詩人がローズ夫人に送った詩より。

 主よ、わたしは惜しみはしない。少数の人たちとともに、栄光に輝くなにかを血みどろになってうべなおうと、出発し、戦い死んでいったふたりのむすこたちを―

(中略)

 長い夜々、わたしは彼の名、かつて親しく呼んだ小さいその名をわが心にささやく。この死んだ炉ばたをめぐって―

 でも惜しみはしない。わたしは長い苦しみに疲れはて、うつろになった。それでも、わたしにはわたしの喜びがある。むすこたちは忠実であり、戦ったのだ― 

これは若き日のローズ・ケネディ。意志が強そう。