マリリン・モンロー

 長期出張していたり、年度末・年度初めでどたばたしたりで、ブログの更新など銀河のかなたに吹っ飛ぶ日々が過ぎていました。(というか、今も過ぎている。)

 そんな中で、現在読んでいるのは、グロリア・スタイネムの『マリリン』。
 とうとう、RFKファンにとっての鬼門(?)、マリリン・モンローとの関係を本格的に考えてみようじゃないのと、意を決して読み始めました。

 
 

マリリン

マリリン

 

 ドヒニー・ドライブに住んでいたマリリンの隣人で女優のジーン・カーメンは、1961年の夏、もしくは秋に、たまたまマリリンのアパートメントを訪れていたときに玄関のドアを開けると、そこに驚いた様子のロバート・ケネディが立っていたのをおぼえている。「彼は、走るか、歩くか、とどまるか、いったいどうしたらいいのかわからないという表情を浮かべていました」とカーメンは説明した。「私は唖然として一瞬口もきけず、『お入りください』と言いながら彼の前に突っ立ったままでした。やっとのことでマリリンがバスルームから飛ぶようにあらわれ・・・彼女はふつうならけっしてそんなことをしないのですが、私の見ている前で彼にキスをし・・・」
 

 ジーン・カーメンは、このための心の準備をなにもしていなかった。マリリンはジャック・ケネディと付き合っていることは話していたがボビイのことなど一言も話したことがない。しかしこの弟の内気なぎこちなさや、弱者に対する同情、そして子供たちに感じている特別な親近感のために、彼はマリリンにとって兄よりももっと頼りがいのある魅力的な存在になったのかもしれなかった。


 独立心に富み、洗練された大統領は、マリリンが一緒に育った人々からは遠くかけ離れていたが、同じ兄弟でありながらボビイは奇妙なことに心情的には労働者階級だった。

(中略)

 彼こそ―ジャックではなく―いまやマリリンの空想の焦点になったのである。
 「彼女の司法長官との恋愛は、マリリンの大統領との浮気より、結果的にもっと真剣なものになっていた」と最も世間に知られたマリリンの伝記作家のひとりであるフレッド・ガイルズは説明している。「(中略)しかし彼(RFK)は大統領とはちがって、彼女に対して個人的な興味を抱いたのだ。これはマリリンにとって、単なる性的な魅力の何十倍も危険なことであった。 (191〜192pp) 


 うーむ。

 サマーズが話した他の人たちも同じように正直ではあったが、彼らはケネディ兄弟とマリリンとのあいだに性的なつながりがあったと推測することに警告を発している。

(中略)

 この友情の本質と真剣さ具合がいったいどうであろうとも、ケネディ一家の他の者たちはマリリンとボビイのあいだの関係について知っており、それを受け入れていた。マリリンの死後、便箋に肉筆で書かれたフロリダのケネディ家からのこの短い手紙が、マリリンの取っておいたさまざまな資料から発見された。


 親愛なるマリリン―


 母からあなたが父(ダディ)に送ってくださったやさしいお手紙のお礼状を書くようにと言われました―

 彼はあなたのお手紙に大喜び、そんなお手紙を書いてくださるなんて、なんてあなたは可愛いのでしょう―

 あなたとボビイが最新の話題らしいですね!彼が東部に戻って来るときにあなたも彼と一緒にいらっしゃることを皆で楽しみにしています!
 
 お手紙、本当にありがとうございました―

  
 愛をこめて
 ジーン・スミス     (193〜194pp)
         

 ジーン・スミスはRFKの妹に当たる人なので、父というのは、ジョセフ・P・ケネディですね。
 

 彼女(マリリン)のなまめかしい肉体は人の目にさらされ、しかし彼女の精神は、アーサー・シュレジンジャーがのちに書いているように、「彼女自身のきらきらと輝いているかすみのなかへ」遠のいてしまったように見えた。

 「彼女には魔法のような強烈な魅力と同時に、ある絶望的なものを感じさせられた」とシュレジンジャーは説明している。「好奇心と同情から、もしくは悲嘆にくれている者に対してすぐ反応を示すという彼の性格のためなのか、ロバート・ケネディは、ほかにほとんどだれも通り抜けることのできなかった燦然と輝いているかすみを見事に通り抜けてみせたのだった」
(198p)

 RFKの真骨頂発揮といえますが、この場合、いいんだか悪いんだか。

 浮気をしない男であってほしかったなあ、個人的には。

 救いは、RFKが一人の人間としてマリリン・モンローに接していたという点でしょうか。単なる性的な存在として彼女を扱ったのではないところが、ボビーらしい。


 ゴシップ的な視線を一切排し、相当に抑制して公平に見ようとしているスタイネム女史(と、なぜかつけたくなる)の書き方には、とても共感を覚えます。

 『マリリン』は人間の悲しさや弱さをしんみりと感じさせる好著のように思います。