キング牧師の言葉(2)

 ローザ・パークスの逮捕により、アラバマ州モントゴメリ(モンゴメリー)のバス・ボイコット運動に関係するようになった26歳の若きキング牧師は、白人から種々の脅迫を受け始めました。

 そして、1956年1月27日。(この日は、私の誕生日なので、特に私には意味深い。)

 彼は「コーヒーカップ上の祈り」を体験します。それ以後のキングを魂の深いところで支え続けることになったと言われる、神体験です。

 私はもう耐えられないと思った。
 その時何ものかが私に語りかけた。お前は今お前の父親に電話をしてはいけない。彼は175マイル先のアトランタにいる。お前は今お前の母親に電話してもいけない。お前はただ、お前の父親がかつてお前に話してくれたあのお方に頼らなければいけない。道なきところに道をお作りになることができるそのお方に頼るのだ。私はその時、宗教は私にとってリアルなものでなくてはいけない。

 私は自分自身で神を知らねばならないということが分かった。そこで私はコーヒーカップの上に打つ伏せになった。私はそのことを決して忘れない。私は祈りに祈った。その夜私は声をあげて祈った。

 私は言った。

 主よ、私はここで正しいことをしようとしています。私たちが掲げている主張は正しいと考えています。しかし主よ、私は告白しなければなりません。私は今弱いのです。くじけそうです。勇気を失いつつあります。だが私はこんな姿を人々に見せたくありません。なぜなら、もし彼らが私の弱い姿を見、勇気を失っていることを知ったら、彼らも弱くなってしまいます。私は明日の朝笑顔で執行委員会に出られるようにしたいのです。
 
 その瞬間、私は内なる声を聞いたように思った。マーティン・ルーサーよ、義のために立て、公義のために立て、真理のために立て。見よ、私はあなたと共にいる。世の終わりまで共にいる。私は閃光の輝きを見た。雷鳴の轟きを聞いた。罪の大波が私の魂を征服すべく突進してくるのを感じた。しかし私は同時に、闘い続けよ、と優しく語りかける主イエスの声も聞いた。彼は私に、決して一人にはしないと約束した。決して決して一人にはしないと。
(1967年8月27日シカゴにおける説教「なんじ愚か者よ」から)

 キリスト教の神は「インマヌエル」(共にいる神)なのだ。そして、イエスは世の終わりまで、共にいると約束された方なのだ。

 キングのこの信仰体験の告白を読みつつ、しみじみとこのことを感じました。

 キングの活動の最初期の段階でこの神体験があって、最後の演説で、自らをモーセと重ね合わせている。
 何か、円環が閉じた印象を受けます。
 
 以下は、キング牧師の最後のスピーチの終了部分です。

 

 でも私はそんなことは気にならない。私は山の頂に登ってきたからだ。だからもう気にならない。

 たしかに私も人並みに長生きをしたい。長生きにはそれなりの意味がある。でも今の私には重要なことではない。今はただただ神の意志を体現したいだけの気持ちで一杯だ。

 神は私を山の頂まで登らせてくれた。頂から約束の地が見えた。私自身は皆さんと一緒には約束の地に行けないかもしれない。でも知ってほしい。私たちは一つの民として約束の地に行くのだということを。だから私は今うれしい。私は何も心配していない。また誰をも恐れていない。私は主の来臨の栄光をこの目で見たのだから。

 下は最後の部分を語るキング牧師の映像。

 すごい迫力です。聖霊が降って語らせているという趣があり、圧倒されます。本当に預言的です。

 初めてこの演説を聴いたのはもう10年以上前のことですが、心底揺さぶられ、感動しました。死ぬのがまるで分かっているかのような内容で。


 

 Well, I don't know what will happen now. We've got some difficult days ahead. But it doesn't matter with me now.
 Because I've been to the mountaintop. And I don't mind.

 Like anybody, I would like to live a long life. Longevity has its place. But I'm not concerned about that now.

  I just want to do God's will. And He's allowed me to go up to the mountain. And I've looked over. And I've seen the promised land.

  I may not get there with you. But I want you to know tonight, that we, as a people will get to the promised land. And I'm happy, tonight. I'm not worried about anything. I'm not fearing any man. Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord.