ボビーの死から40年

 1968年6月6日午前1時44分、ロバート・フランシス・ケネディは家族や親戚に見守られる中、息を引き取りました。彼がその魂を神に返してから、今日でもう40年。

 彼の死を悼み、敬意を表するために An Honorable Profession に収録されているボビー・ケネディ追悼文の中から、いくつか部分的に訳して載せてみます(少々意訳した部分があります)。

"An Honorable Profession": A Tribute to Robert F. Kennedy


Letter from Mrs.Gertunde Claflin to Mrs.Robert F. Kennedy June 6 1968

 親愛なるケネディ夫人

 おそらく貴女はこの手紙を読むことはないのでしょう。でも、読んでいただければと祈っております。私は海軍にいる息子と家にいる幼い二人の子どもをもつインディアンの母親です。私は貴女の素晴らしいご主人に心をかけていただいた貧しいインディアンの一人です。私は貴女が昨年訪問されたセネカネーションの一部であるオールガニーインディアン特別保護区に住んでいます。あの時、ご主人は私たちの部族の一員となり、私のクランでもある狼クランのメンバーになりました。
 ご主人に心をかけていただいた人間の一人として、私はあの方が私たちにとって意味していたことをお伝えしたいのです。

 彼は「白人」でした…彼は「豊か」でした…「白人」という言葉で私が言いたいのは、彼は「品位があった」ということです。「豊か」という言葉は「知恵に満ちていた」と言う意味です。
 あの方は、私たちのひどい扱われ方を知り、それを知るとすぐに私たちのところに来て私たちが持っているものと持っていないものを見ました。そして彼は心を砕いてくれました。これについて何かしようとしてくれたのです。 

 昨年、ご主人は私たちに希望をくれました。セネカネーションが消されてしまうことはないだろうという希望が、彼から来たのです。

(中略)

 ケネディ夫人、私たちも彼を愛していました。インディアンが公的な存在を愛するなどとは、前代未聞です。私たちは彼を信じました。これもまたインディアンにとっては前代未聞のことです。私たちは彼に全幅の信頼をおいていたのです。


"The Talk of the Town" in The New Yorker June 15, 1968
 

 「ボビー」と彼は、彼を直接知らない人びとから呼ばれた。その中には侮蔑をこめてそう呼ぶ人びともいた。私たちはしばしば、ありのままの彼に遭遇するたびに、ショックを体験した。リンゼーはいつもリンゼーであり、ロックフェラーはいつだってロックフェラーであり、マッカーシーは結局のところ常にマッカーシーであった。しかし、ケネディは私たちがいつも読んだり聴いたりしている彼に関することの大半と殆ど一致しなかった。彼は「ボビー」ではなかったのである。
 私たちは彼にそれまでも時々会っていたが、三月にはかなり密着して彼のことを追いかけ始めた。カリフォルニアへ行き、ワシントンへ行き、インディアナへ行き、またニューヨークに戻る。
 彼は、もちろん素晴らしい人間であったが、同時に複雑な人だった。彼に会うたびに、私たちにはもっと見えてくるものがあった。彼は決して正確に評価され得なかった。特に過去の言葉では。彼は常に「なっていく」過程にあった。彼は変化にすばやく反応し、自分自身を変えた。こうした変化はいつも、彼の勝ちたいという駆り立てられるような欲望のせいに帰されていた―彼をよく知る人びと、彼の大いなる成長の能力、彼の献身、彼の関心の幅広さに気づいていた人々の評価を除いては。私たちは気がついたのだが、彼の周囲にいた人たちはケネディを敬慕(adore)していた―これ以外の言葉はあり得ない。彼らは彼のためになんでもやり、どんなに遠くにでも行き―そして、それは彼も彼らのために同じことをすると確信していたからだった。私たちも、彼をどんどん好きになっていった。

(中略)

 彼が生きた世界は早く変化していた。過去は導き手として役立たず以下だった―それは障害だったのだ。必要とされていた人物は、現実にあることに対し本能的に応える人―人びとと、人びとが持つ変化への必要に共感を抱く、真に憐れみに満ちた人だった。彼が歩くとき、頭は前へと傾げられていた。彼にとって全てのものは前にあったのだ。今、彼は死んだ。そして、私たちは(ニュース)フィルムを何度も何度もみている。彼が床に横たわり、彼の頭が他者の手の中にあるのを。

(中略)

 彼がしばしば使っていたまさにあの言葉のとおり、彼の死は「受け入れられない」(unacceptable)。


Charles Frankel in The Saturday Review June 22, 1968

 私が思うに彼(RFK)の最大の素晴らしさは、人が何か言うべき大切なことを持っているとき、その人に向かって自分の心を傾けるそのやり方であり、他の人びとの世界を想像する能力であった。彼は、私が公的生活の中で出会った、本当に聴くことができる数少ない人の一人だった。彼は聞きたい人であり、かつて自分が聞いたことのないことを聞くためには自分の(それまでの)あり方を踏み越えた。私は、彼の見かけや若さや名前ではなく、これこそがゲットーに住む人々に届いたことであり、彼に対するゲットーの住人の感情を説明していると思う。