三男David

昔読んだ、RFKの暗殺に関する新聞記事の中に、サーハン・サーハンが殺したのはロバート・ケネディだけではなかった。彼はRFKを殺すことで、その後5年続いたヴェトナム戦争での戦死者を間接的に殺した・・・という風に、一人の人が死んでその影響がどこまでも広がっていく様を描き出す書き出しになっていたものがあったと記憶しています。

 その書き連ねられている死者リストの中に、デヴィッド・ケネディの名がありました。

 サーハン・サーハンはデヴィッドを間接的に殺した。なぜならデヴィッドは父の死の打撃から立ち直れず麻薬中毒で死んでしまったのだから、と。


 

 ※これは有名な写真ですが、私のお気に入りです。RFKの姿は父親!という感じがする。

(デヴィッドは)内気で傷つきやすく、殻から出さえすれば魅力を発揮できるところは、若い頃の父親そっくりだった。

 (中略)

 ボビーは自身がケネディ兄弟のなかでみそっかすだったことを思い出すためか、デヴィッドには甘かった。

 (中略)

 ボビーは三男を鍛えたいと思う一方で、彼をやさしく抱きしめて保護しようとした。それはまるで、ケネディ家の兄弟姉妹が入り乱れるなかで身にしみた孤独感を、この息子には味わわせまいと決心しているかのようだった。 『ケネディ家の人びと』下 178p


 
 
 ※1964年ごろのRFKとデヴィッド。
 

 父親の死は、他の者よりもデヴィッドにはいっそう強くこたえたのだが、それというのも二人のあいだには特殊な絆があった――二人とも兄弟のなかでは身体が小さく、大家族の真ん中にサンドイッチのようにはさまっていた――からであ(る)。

 (中略)

 父親の大統領選挙出馬を喜ばなかったのはデヴィッドだけだった。ボビーが出馬を表明してから何週間も、デヴィッドは父親が死ぬ夢を繰り返しみてうなされていたのである。
ケネディ家の人びと』下 207〜208pp


 
※1968年のRFKとデヴィッド。


 
 彼の悪夢は現実のものとなり、父の死後デヴィッドは迷走していきます。

 

 口にはだせなかったが、自分たち(ジョセフ、RFKジュニア、デヴィッド)が越えるはずではなかった一線を越えてしまったことを、少年たちは意識していた。
 それはロバート・ケネディ自身が善と悪とのあいだに引いた線だった。ふと気がついてみると、彼らは線の向こう側にいて、父の思い出を遠くからもっとよく見ようとしているようなものだった。
 彼らがいくら年ととっても、ロバートはつねに「お父さん」だった。まるで、父親のもつ意味が死の瞬間の中に閉じこめられたかのように、その一瞬は彼らにとって古いモラルや美徳を象徴するものとなったのだ。

 (中略)

 父――それは彼らが二度と感じることのない愛、二度と経験することのない道徳的秩序を具現する存在だった。 『ケネディ家の人びと』下 212〜213pp

 

※21歳当時。


 父親という庇護者を失ったデヴィッドは家族の中で孤立を深め、麻薬から抜け出せずもがき苦しみ続けた挙句、1984年4月25日にあるホテルの一室にて遺体で発見されました。享年28歳。


 デヴィッドのもとガールフレンドだったナンシー・ナーレスキーは彼の死を知った後の自分の反応をこう語っています。
 

 「わたしは自分に問いつづけました。『なぜ?どうしてデヴィッドが?なぜ、いまこんなことを?』わたしはようやく思いました―きっと彼のお父さんが天国から見おろして、あの人たちが彼に地獄の思いをさせているのを見たのだろう、と。そして、こう言ったんだろうと思うのです。『さあ、お前はもう充分に苦しんだ。そろそろ私のところに昇ってくるころだ』と。」『ケネディ家の人びと』下 366p


 デヴィッド・アンソニーケネディについてのウェヴサイトはこちら(↓)。

  http://davidanthonykennedy.com/


 これは、デヴィッド・アンソニーケネディのトリビュートビデオ。

 


 下のは、父親としてのRFK。以前ご紹介したものより、音楽もいいし、出来もいいと思います。副題に Beloved Father とついているのがいいねえ。

父性ってこういうものかと感じさせるビデオ。


 

 

 He was the best father there ever was and I'd rather have him for a father for the length of time I did, than any other father for a million years. (David A. Kennedy)