カトリック新聞のなかのボビー

 このところ、60年代のカトリック新聞(世の中の一般の方々はご存知ないでしょうが、こういう週刊新聞がカトリック業界内で出ているのです)を延々と読んでいる。

 68年の分を読んでいると、おお、やはり出てきました、ボビー関連記事。

 なにせ週刊なので、暗殺事件そのものは報じられていません。

 6月23日付け第2041号の記事はニューヨークで行なわれた追悼ミサの模様を報じ、6月30日付けの2042号では、故人の横顔とバチカンの発言が報道されています。


 これまで、60年代のカトリック系雑誌、新聞をひたすら読んでみて、つくづくカトリック教会にとって真に宝だとみなされていたのはRFKで、JFKではなかったのだということがよく分かりました。少なくとも日本のカトリックメディアにおける報道の仕方が全然違う。
 たとえば、カトリック新聞の記事タイトルも「信仰厚かったボビー」(2041号)などと書かれている。JFKの記事にはなかったぞ。
 

 JFKカトリックとして初めてアメリカ大統領になったという点が強調され、平和に尽くした大統領という部分に重点が置かれているのに対し、RFKはカトリック信者の模範とみなされ、その信仰と信仰に支えられた行動が称えられる形で描写されているのです。

 JFKカトリックといっても名ばかり信者に近かったのに対し、RFKは本気でカトリックだったので、教会もその差を明確に認識していたわけですねえ。

 
 で、毎度恒例の記事からの抜粋引用を以下に。


 カトリック新聞2041号より

(かつて合衆国駐在教皇庁大使だったチコニアーニ枢機卿―当時はバチカン国務長官―の哀悼メッセージ)


 親愛なるロバート・ケネディ上院議員の悲劇的な最期に、私の心はひどく痛めつけられ、遺族と悲しみを共にしている。私はロバートがまだ少年の頃、彼ボビーを知り、その後いろいろな機会に彼と会い、家族とも親しく交際していた。

 その間に私は彼の家族と祖国に対する愛、それを支える深い信仰心が彼の人格のすべてをつくり上げていることを知った。とりわけ彼の祖国愛は合衆国の国境を越え、世界に対するアメリカの責任を十分認識していた。

 恵まれない人々に対する正義と連帯性の必要を強く感じとっており、彼の中に深く根をおろしたこの責任感がどんなことにも恐れず臆せず、行動に彼を駆り立てていた。


 カトリック新聞2042号より

 (6月9日、聖ペトロ広場に集まった群集への教皇パウロ6世の説教より)


 ロバートは身をもって暴力と犯罪を処罰した。彼は貧しい人、見捨てられた人、忘れられた人のために、それらの急速な開発のために、一言で言うなら“社会正義への献身”を見事に実証してくれた。しかも彼の社会正義は、暴力や闘争によるのではなく、自由博愛、責任など人間の社会的共存を新たにする力をもっていた。


 RFKへの評価の高さは、1968年が第二ヴァチカン公会議の後で、社会正義への献身が叫ばれ、一般信徒による信徒使徒職の重要性が強調されていた時代において、彼がロールモデルとして最適だったという背景があることをうかがわせます。

 
 なお、2042号には、RFKの写真が二枚掲載されています。

 一つは、RFKがパウロ6世からロザリオをもらっている写真で、「大統領選挙運動のさなか、凶弾に倒れたロバート・ケネディ上院議員が、生前パウロ6世にお会いした最後の謁見のとき、教皇からロザリオをいただいた。故ケネディ氏はこれを大切に所持し家族といっしょに祈るとき、いつもこのロザリオを愛用していた」というキャプションがついています。


 もう一枚は、撃たれて床に倒れて意識不明になっている状態でロザリオを持っているもの(↓)で、「彼がどんなにロザリオを愛していたか、それを物語るように、凶弾に倒れた彼の手にはロザリオが握らされていた。」と説明文がついています。

 



 アメリカのカトリックメディアがどう報道しているか興味をそそられますね。そのうち、調べてみます。