JFKとRFKの違い その2

 JFKは慎重で穏やかな状況が似合い、常にゆっくりと進み、慎重で火中の栗を拾うような真似は決してしない人でした。

 それに対しロバート・ケネディははるかにラディカルで急激に突き進み、闘いや挑戦が似合うタイプで、あの大混乱の60年代の時代精神にまさに適合していたと思います。

 両者の違いについては、RFKに関するドキュメンタリー RFK でも以下のように述べられています。

Robert Kennedy had begun to reach beyond the guarded politics of his brother. John Kennedy had always moved slowly, with caution. Now, Bobby was throwing caution to the wind.

http://www.pbs.org/wgbh/amex/rfk/filmmore/pt.htmlより引用。

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 また、上院議員時代のJFKが行った最高の議会演説が、(失う票を心配しなくてよい)フランスのアルジェリア戦争批判であったのに対し、RFKのそれは、(下手すると政治生命がかかる)アメリカのヴェトナム戦争批判だったところにも、見事に二人の相違が表れていると思います。

 こうした、リスクを冒してでもやると決めたらやるぞというRFKの態度こそが、60年代の時代精神と合致し、あの混乱の年である68年を彼の年としたのだというのが、私の勝手な意見であります。
 

 (ロバート・)ケネディは全世界的な変化への動きのシンボルとなりつつあった。彼はブルックリンの貧しい黒人地区の通りを、ペルーのリマにある不法占拠スラムを、カリフォルニアのデラノにある移動労働者のキャンプを、政府によってあまりにも疎んじられていたため消防署すらなかった南アフリカの町を歩いた。行く先々で、ボビーは自分が出会った人びとや、自分たちを無視しひどい扱いをしている社会の犠牲者たちのニードを理解したがった。彼の崇拝者たちにとって、RFKをある種の現代におけるイエスにしているのは、彼の人生のこの側面だった。彼は貧者と見捨てられた人々を捜し求め、彼らの理想を自分のものとした。

(中略)

 彼はこうした訪問において精彩を放った。なぜなら彼自身が触れ合いを切望したからだ。彼は必要に苛まれる人びと、苦しむ人びと、富や力から見放されている人びとを理解した。人々のすさまじい人生は、彼のすさまじい感情だった。すなわち、彼の激しい怒り、深い悲しみ、世と戦おうとする迫力だったのだ。
 革命を説いていたラディカルな人々を実際に理解し、彼らに到達することができるかもしれない政治家がもしアメリカに一人いたとすれば、それはボビー・ケネディであった。(Robert F. Kennedy:A Twentieth-century Life 165〜167pp)

Robert F. Kennedy (Up Close)

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 この写真のRFKは、闘う男ボビーの激しさが出ている感じがするので好きな一枚。(そんなこと感じるのは私だけか・・・^^;。)