ボビーの墓碑銘

 今日、ブログを更新しなかったら、ボビーファンとはいえないと思い、新たに書きたいと考えていたのですが、どーゆうわけだか忙しく(情けないなあ)、残念ながら別ブログの記事の一部を省略と手直しを加えて転載ということで、お許しを。(って誰に謝っているのだか。)

 ボビーを偲んで、 ニューヨークのセント・パトリック教会での葬儀でエドワード・ケネディが行った追悼演説を聴くのもよきかな。
 

内容は以下にて。

http://americanrhetoric.com/speeches/ekennedytributetorfk.html

 その中の一節。

My brother need not be idealized, or enlarged in death beyond what he was in life, to be remembered simply as a good and decent man, who saw wrong and tried to right it, saw suffering and tried to heal it, saw war and tried to stop it.


「私の兄は・・・・・・間違いを見て正そうとし、苦しむ人を見て癒そうとし、戦いを見て止めようとした人として記憶されるべきなのです。」


 私は、RFKはヘンリー・ナーウェンの言うところの「傷ついた癒し人」(Wounded Healer)だったのだと、思っています。この世の痛みにつながっていたというのは、そういうことだった、と。(追記:ちょっと、持ち上げ過ぎだったかな。でも、少なくともその道をしっかり歩んでいた人だと思います。あのまま成長し続けていれば、きっとすばらしい「傷ついた癒し人」になったはず。)

傷ついた癒し人―苦悩する現代社会と牧会者

傷ついた癒し人―苦悩する現代社会と牧会者



 私が好きな葬儀のときのエピソード。

 ボビーの葬儀の時、民主党の実力者でRFKの最も強力な支持者だったシカゴのデイリー市長が号泣し、後ろの席でトム・ヘイデンが静かに一人で涙を流していました。
この光景を目にしたニューフィールドはカミュが引用していたパスカルの言葉を思い出します(拙訳)。(Robert Kennedy and His Times 915p)

 その人の偉大さは、なにか一つの極端であることによって示されるのではない。むしろ、同時に二つのものに触れていることによって示されるのだ。


 右翼の親玉みたいなリチャード・デイリーと、左翼の指導者「革命家」のトム・ヘイデン両者から、こんな風に悼まれるというのはスゴイと思いましたよ。


 RFKのお墓は、アーリントン墓地のケネディ大統領のお墓から少し離れたところにあります。白い小さな十字架があるだけの簡素なお墓です。これは、生前の彼がそう希望していたからだそうですが、彼らしくて好きですね。(残念ながらまだ私は墓参りに行ったことがない。いつか行けるものなら行ってみたいです。)


 その墓地について、こう書かれているブログを見つけました。

 http://blogs.itmedia.co.jp/speedfeed/2006/09/13_days_60fb.htmlより引用。

まだ20代の頃、ワシントン近くのアーリントン墓地に行った。高校生のときに、ソレンセンが書いた『ケネディの道』という本に感銘を受けて以来、一度はケネディ兄弟の墓参りをしようと思っていたのだ。

実際にいってみると、JFKの墓は大きく、華やかだった。多くのひとがその前を行き交っている。
ところが、弟であるロバート・ケネディの小さな墓石の前では、初老の黒人女性が嗚咽しながら祈っていた。
この光景に衝撃を受けて以来、僕はロバート・ケネディを敬愛し続けている。

 これは見事にジャックとボビーの違いを象徴するなあと感銘を受けました。ボビーにはこういう光景が似合います。


 初めてRFKの墓碑銘が何かを知ったとき、ああ、RFKの人生をまさに象徴していると思って心打たれました。
 それは、アイスキュロスの詩の一節で、生前のボビーが愛唱していたものでした。キング牧師の殺された夜の演説でも、彼はこれを引用しています。(拙訳)

He who learns must suffer. And even in our sleep, pain that cannot forget falls drop by drop upon the heart, and in our own despair, against our will, comes wisdom to us by the awful grace of God.

学ぶ者は苦しまねばならない。我らの眠りにおいてさえ、忘れえぬ痛みは心に一滴また一滴としたたり落ちる。そして、それは我らの絶望の内に、我らの意志に反して、神の畏るべき恩恵によって我らのもとへ英知として、来る。

 苦しみを逃げないで通った人として、私はロバート・ケネディを尊敬しています。